午後1時 舞鶴公園出発
⇒JR西舞鶴駅⇒マナイ商店街⇒平野屋商店街下横町
⇒三の丸カトリック教会⇒舞鶴公園着(午後2時)
行列順
1番グループ:平安騎馬隊
2番グループ:町内太鼓・子供みこし連
@南田辺自治会 子供みこし
A竹屋自治会 太鼓
B丹波自治会 太鼓
C京口自治会 子供みこし・太鼓
D魚屋連合 太鼓
E舞引土自治会 太鼓
F字新自治会 子供みこし・太鼓
G吉原連合 太鼓
H寺内自治会 子供みこし・太鼓
I字西自治会 太鼓
3番グループ:チビッコ武者連
@池内幼稚園Aみつる幼稚園B聖母幼稚園C舞鶴幼稚園D相愛保育園
4番グループ:鎧武者連
一般参加者ポリテクカレッジ京都・海上自衛隊・海上保員安学校
5番グループ:朝鮮通信使
朝鮮通信使
慶長8年、西暦1603年 徳川家康は、征夷大将軍になったとき、
秀吉の朝鮮遠征によって壊された国交の回復の必要性を痛感し、
朝鮮政府に通信使の派遣を打診しました。
しかし、朝鮮では、日本の態度を信用していませんでした。
ところが、たまたま日本から帰国した者から、
「家康はじめ、その重臣には、再び朝鮮には出兵する意思はなく、
使者を送れば必ず和平はなる。」と聞いた
朝鮮政府は、関係改善に応ずることにしました。
和平交渉は、紆余曲折を極めましたが、
慶長12年、西暦1607年に
ようやく第一回の通信使が日本に訪れました。
その数400〜500人と大人数の使節団で、
以後200年にわたり12回、同じ人数が、派遣され、釜山から海路、
対馬に寄港し、馬関を経て瀬戸内海を航行し、
大阪からは、輿と徒歩で江戸に向いました。
この第一回通信使から400年目にあたる本年、
在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部の皆さんが、
朝鮮通信使として朝鮮王朝時代の行列とパフォーマンスで
「御城下大行列」に参加されました。
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