第28回
 まいづる細川幽斎
田辺城まつり 
本祭  令和元年年5月26日(日) ・ 前夜祭 25日(土)    舞鶴公園にて 

前夜祭(令和元年年5月25日(土)午後6時〜8時30分
18:00 開会
幽斎歌舞伎 雷の舞(kukui/丹波izanai合同連)
     
     
     
     
 田辺八景めぐり(みつる幼稚園) 
     
     
     
 幽斎歌舞伎 炎の舞(舞鶴よさこい連) 
     
     
 講談「田辺城籠城の一席」(舞鶴市立明倫小学校5年生有志)   
     
     
     
     
     
     
     
19:00 園児の絵灯籠 420灯点火
      協力:池内幼稚園幼稚園・相愛保育園・舞鶴幼稚園・みつる幼稚園・聖母幼稚園・なかすじ保育園・永福保育園
         中舞鶴幼稚園・中保育所・ひばり幼稚園・倉梯幼稚園・たちばな幼稚園・シオン幼稚園  
     
     
     
     
  幽斎歌舞伎  風の舞(よさこいにっぽん聖) 
     
     
     
  講談  講談師 玉田玉秀斉 

  プロフィール  玉田 玉秀斎(たまだ ぎょくしゅうさい)は、2001年11月 旭堂小南陵(現・四代目南陵)に入門。
     
    そして、2016年11月 講談の名跡で玉田永教(えいきょう)の神道講釈の流れをくむ玉田派の名跡四代目玉田 玉秀斎を襲名し
    
    現在に至っておられます。約600年続く講談を外国語で公演したり、ジャズやアコーディオンなどとの音楽コラボ講談、
    
    また小説家・木下昌輝さんとの即興創作コラボなど、新しい講談の挑戦を続けておられます。 
    
    又、大阪日日新聞、日本海新聞で毎週土曜日『たまチャンの『ウソ&マコト境界線巡り旅』を連載中です。
    
    今日は大阪からこの田辺城にお越しいただき
    
    第28回 まいづる細川幽斎田辺城まつり前夜祭の最後を飾っていただきます。
    
    お題は「大文化人 細川幽斎と徳川家康」 ではどうぞ!

  

     
     
 前夜祭 閉会     
     

■本祭 5月27日(日)午前9時〜午後4時
  
 
宮本実行委員長とゆうさいくんの開会宣言
     
  チアリーディング(みつる幼稚園)    
     
     
 前章 本能寺の変本能寺の 

 歴史の回り舞台が、きしみながら大きく回ろうとしている・・・・。

   時は、天正十年 千五百八十二年 

  六月二日、払暁(ふつぎょう)

   「敵は本能寺にあり」

   備中へ向かったはずの明智光秀の軍勢が・・

   天下の覇者信長は、紅蓮の炎の中で自害 

  六月三日

    毛利攻めの先鋒勤めるべく細川藤孝・忠興親子は宮津城を発とうとしていた

  「殿、京から米田求政(もとまさ)が使者 早田道鬼斎なる者、書状をこれに」

  「惟任(これとう)光秀、逆心を企て、信長公本能寺にて御腹召され候。

  二日朝、辰の刻、信長公御父子、御一門歴々討ち果たし・・・」

  さしもの藤孝も読み進めるうちに青ざめていくのが自分でわかった。

  「愚かなことを・・・」 

 藤孝は、忠興に向かい

  「私は、髪を剃って信長公の多年の恩義に報いたいと思う。

  しかし、お前は光秀とは婿・舅の間柄であるから味方しようがしまいが、心にまかせるがよかろう」

  運命の皮肉さよ、忠興の妻玉(ガラシャ)は、光秀の娘であり、その仲人は信長であった。

  父としての労わりであった。

  涙を浮かべた忠興は、

  「いや、たとい親戚の縁故があろうとも、どうして謀反人に味方できましょうか」

  すぐさま藤孝は、忠興ともども髪を落とした。

  羽柴秀吉らとの対決に備えて、光秀は、藤孝に

  「御のぼり相待ち候(そうら)ひつる」などと、なんども協力を求め自筆の書状を送ったが、

  藤孝は、ついに同調せず、忠興に家督を譲り、幽斎玄旨と号して田辺城に籠もった。

  そして忠興は、妻玉を丹後の味土野(みどの)の山中に幽閉した。

 六月十三日 孤立した光秀は、山崎の合戦で秀吉に破れ、

  敗走の途次、農民の落ち武者狩りにあい五十七歳の人生を閉じたのであった。

 十八年後、再び 歴史の回り舞台が きしみながら大きく回ろうとしていた。

 田辺城籠城のはじまり

第一章「幽斎公 いざ籠城に候」 和太鼓協力:野村寺太鼓ワイワイ会  武者芝居協力:海上保安学校
 
  時は慶長五年 西暦一六〇〇年 七月 大坂にて三成挙兵
  
  家康に味方する細川を成敗せよと丹後国田辺(現舞鶴市)に兵一万五千を送る
  
  迎えうつは、
  
  上杉討伐の留守を預かる幽斎公、
  
  国中の武器弾薬を掻き集め、兵を招集、その数 五百余名
  
  ここに関ヶ原の戦いが終わるまで2ヶ月続く田辺籠城が始まる。

  下記の場面は、
  京から本能寺の変の報が届く
  18年後
  三成挙兵の報を田辺城に伝令
  兵の招集を命じた幽斎、城門から国中へ伝令が走る
  重臣(市長等来賓)が、籠城に駆けつける
  
 
     
     
     
     
     
     
     
 相愛太鼓(相愛保育園) 可愛い園児が、籠城の兵を鼓舞する 
     
     
     
     
 明倫ソーラン(舞鶴市立明倫小学校6年生)児童も力を合わせ籠城の覚悟なり〜 
     
     
     
 多々見市長代理 堤副市長 挨拶  及び 来賓紹介 、ゆるキャラ紹介と
 「2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」を盛り上げるための田邊家中之会が、「細川家」について学ぶ講演イベントPR
     
     
     
 西町芸屋台語り部     
     
     
 籠城 第二章「幽斎公 朝廷へ古今伝授に候」
    
    場面は、三成挙兵により人質を拒否したガラシャは自害
   
    籠城を続ける幽斎に対し、
    
    討死すると和歌の奥義が絶えることを怖れた後陽成天皇は、
    
    田辺へ和睦の使者を遣わす
   
    幽斎は、武士として討死の覚悟と和睦を断るが、
    
    歌道のことを考え使者に古今伝授の秘説を託し、和歌一首
   
    「いにしえも今もかわらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」   舞鶴公園古今伝授の松の下心種園にて

                            協力:海上保安学校 詩吟神心流舞鶴総支部
  
 
     
     
     
     
     
     
     
  寄進米みこし御城下巡行      協力:海上自衛隊、西自治連、京都ほくと信用金庫舞鶴中央支店有志
   
   籠城を覚悟した幽斎公、町衆は、籠城米を寄進した故事に習い 

   まつりの成功と舞鶴市の発展と市民の多幸を祈願し、

   城下の氏神・朝代神社から西地区市街地(字神社)を廻り帰城
     
 朝代神社にてまつりの成功と舞鶴市民の多幸を祈願   恒例の清めの水かぶり  
     
京口自治会の接待を受ける    町内会への練り歩き  舞鶴最古の神社 笶原神社にお参り
     
  新町金毘羅さんにお参り 新町町内会で接待   西町町内会で 接待
     
見樹寺の恒例の清めの水かぶり      
     
  幽斎公位牌が祀られる瑞光寺参拝  幽斎公位牌が祀られる瑞光寺参拝 
     
寺内お稲荷さんへお参り 寺内町内会で接待    竹屋町内会で接待   丹波えべっさんにお参り 
   
丹波えべっさんにお参り 丹波町内会で接待   平野屋にある幽斎神社にお参り  魚屋住吉神社にお参り  
     
魚屋住吉神社にお参り魚屋連合の接待を受ける  舞鶴公園田辺城に登城  
   
     
    
     
 芸屋台子供歌舞伎「田辺籠城」 協力:新町自治会・竹屋自治会・丹波自治会・舞鶴市立明倫小学校6年生有志
 
  今年で5年目の取り組みです。
 
     
     
     
     
     
 
 
籠城 第三章「忠興公 米沢遠征隊いざ出発に候」  警護協力:ほくと鵬信会
        チビッコ武者連         池内幼稚園・舞鶴幼稚園・みつる幼稚園・聖母幼稚園
        
        町内太鼓&子供みこし連   南田辺・竹屋・新町・丹波・魚屋連合・寺内・西町・京口・舞引土 
                          
                          他 西自治連合会・京都ほくと信用金庫舞鶴中央支店有志
        
        武者連              海上自衛隊・海上保安学校・ポリテクカレッジ・西自治連
       
        幽斎菊みこし          海上保安学校女性部・折原町内会神輿
        
        ゆうさいくん           舞鶴商工会議所青年部
        
        細川ガラシャ・麝香・澤田妻 保安学校女子他
        
        一般参加武者連(岐阜県から参加)6名
                                                  総勢約650名  
  
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
 丹後田辺の悳意気(こころいき)「絆の太鼓」  子供和太鼓「喜悳」   
     
     
 籠城 第四章「忠興公 関ヶ原の戦いに勝ち凱旋に候」
     大行列が帰城
 
     
     
 忍者先生が語る!大治太鼓&三味線 尾張の伝承芸と革新

  約300年前、江戸時代中期より、尾張地方では、神社の祭礼に五穀豊穣と人々の安全を
  
  祈願し、て勇壮に太鼓を打ち鳴らしながら村々を引き廻る風習がありました。

  その姿・音楽を継承し、平成の現在も伝え続ける大治太鼓。その活動は伝承のみにあらず
  
  津軽三味線とのコラボレーションなど常に新たなスタイルを模索し続けています。

  公演の司会は大治太鼓と時を同じく300年前の尾張の地で活躍した忍者たち。
  
  修行中の見習い忍者との寸劇を交えコミカルな演出を盛りだくさんです。(ジパング舎資料より)

     
     
     
 サムルノリ(韓国民団舞鶴支部)
     
     
 まつりの最後を締めくくる 町衆「炎の太鼓」練り込み競演 (和太鼓演奏:魚屋連合・新町・竹屋・寺内・西町・京口・丹波・引土新各自治会)
     
     
     
     
     
     
     
     
 
 これにて本年 第28回まいづる細川幽斎 田辺城まつりを閉会とさせていただきます。
              
      来年の第29回を宜しくお願い致します。  
     
     令和元年5月26日
                        実行委員長 宮本 利春